たのしい陰湿日記

陰湿な底辺大学生の日記です!

サンタの存在

皆さんはいつまでサンタを信じてました?
私は存在を信じたことがありません、だから感覚がよくわからなくて。

幼稚園の頃はサンタさんからのメッセージカード見て「これ家にあるキラキラペンだ!書いたのお母さんでしょ~」と言っていたし、小学校低学年の頃はゲームソフトが枕元にあって「わざわざ朝並んでくれたの?」と聞いたりしていた(年相応にプレゼントに対してははしゃいでました)。

でも親は、ほんとのサンタさんだよ~とどうにかはぐらかしていたし、欲しいものを目の届くところで買ったり置いておいたりしていたわけではないので、手は尽くしてくれていた。
だから多分、小さい頃からそういうものを信じていなかったんだろうな

着ぐるみも中に人いるって分かってたからすごい怖かった。こちらも親に何か言われたわけではないけれど。
3歳くらいで行ったディズニーランド、ミッキーに対してギャン泣き。
どう考えても中に人がいるじゃないか…、無表情な被り物してるのが怖くて怖くてしょうがなかった。
多分、ずっと中に人がいるから、と思っていたけれど、何を考えてるか分からない顔が怖かった気がするな。

幼稚園の頃の台詞で思い出したのですが、物心ついた時には「お母さん」「お父さん」と呼んでいた。
今思い返せば嫌な方向にませててクソガキではないか?
親、どうだったのかな。かわいくなかったかな。
サンタに対してのお礼じゃなくて、父母に、祖父母にお礼を言っていたのはちょっと誇らしかった気がしますけど(自画自賛)

曲の長さ

曲を作ろう。
そう思ったことは無いですか、私はあります。
そして挫折しました。

小さい頃は、ピアノで馬鹿みたいな曲をつくって遊んでたな。楽しかった。

ところでですが世に溢るる曲たち、3~5分くらいじゃないですか?
そしてAメロBメロ、サビへとお行儀よく流れていく。長さもほぼ一緒。
なんて退屈なのだ!
と、私は怒った。

しかしながら、それを崩した曲たちはどうなっちゃうんだろうか。
多分何をするにもいろいろ不便なんだろう。
Aメロ、Bメロ、Cメロ、Dメロ、Eメロ、Fメロ、サビ、終わり(ここまで10分)

実際どうなんだろうなぁ、好きな人たちにつくってもらいたい。
考えみれば不思議じゃない?綺麗にサビまでもってって、次ほぼ同じメロディーにあったりなかったりのCメロに…

結局何がいいのか、何が答えかはよく分からないけど。

2018.10.28 語感がいい

なんとなく語感がいいな~って言葉ありません?

一年前のブームは「奇を衒う」でした、何かにつけてこの言葉が頭の中をぐるぐると。

あと半年前、これは自分で作った言葉なのですが「人間を 殺して回る 墓参り」という俳句です。
物騒ですね、でもテンポやリズム、もしかして季語も入っていて素敵なのでは?と後半は感覚が麻痺していました。これは今もたまに思い出す逸品です。
もしかして、お~いお茶のラベルに掲載される日は近いかもしれない。

ちなみに今のブームは「床に転がる」です、ありがとうございました

2018.10.25 長く付き合える友人

趣味の合いすぎない人こそ長く付き合える友人ではないか、という言う人がいた。
その人は色んな話がし合えるとも言っており、最初「なるほどなぁ」と感心していた。

しかし思い出せ
自分の興味ない話、聞いてて苦痛じゃないか?
自分は性格が悪いので、興味ないなと判断した瞬間に話半分に聞いてしまう(自分はするのに)、半分はおろか一文字も聞いてないことがある。
夢の話なんてそうじゃないか?いかに自分が面白くてもちっとも伝わらないし、聞いてもふーん…となってしまう。

自分は夢日記をつけているのだが、面白いやつ聞いていってほしい。
自分と中学時代の同級生(男二人、もう何年も会っていない)の三人はスーパーのコロッケ売り場に配属されていた。
しかし1日じゅういるのにコロッケはほとんど売れず、厳しい状況が続いていた…
三人で試行錯誤をする、例えば売り場におしゃれなイイ感じの音楽を流したり、みんなでコロッケの具材を考える。そして最終的に10種類以上のコロッケを取り揃え、コロッケの種類ひとつひとつに合った色や柄の和紙を取り寄せて、包装にも凝った。

売れなかった。
唐揚げを食べて帰ろうとしたら事故って車が爆発した。

2018.10.20 自分が死んだあと

鬱が加速してとうとう死んだか…
って、大丈夫です、今のところ病気か事故以外で死ぬ気はありませんから

母は言う
お墓なんかに埋めなくていいから。宇宙とか海とかに散骨して(そのあと普通にこっちの方が金かかるなと笑ってましたが)。あと仏壇もいらんから写真でも飾っといて。

最初は本当にそれでいいのか?と。
が、よくよく考えてみると自分が死んだあととかどうでもいいな。
というか、お墓に入れてくれって気持ちがわからない。
ちなみに自分だったらよく日の当たるお花畑とかに骨を撒いて欲しい、あそこに閉じ込められる方がよっぽど嫌な気がするし、葬式なんてものもしないでほしい

小さい頃はこの死んだあとの一連の流れに「なんだこれは?」という気持ちだったけど空気を読んで「こういうものだ」と思い込んだ。
当時から人の死と葬式が上手く結び付かなくて、私は葬式ではとてもあっさりとしていたし、退屈だった。もっと近しい人が亡くなったら、違うんだろうか。
しかしそんな場面でもあっさりしている自分を想像してしまうと怖い、というか怖いと思うことが変な気がしてきた。考えれば考えるほど難しい

ちなみに母親は、ああいうものは死んだ人のためではなく全部残った人のたちのためのもの、と言っていた。
すごい納得したし感心したし過激派な老人に包丁でブスリと刺されて死んだ。

2018.10.19 人間の価値

人間によって価値は変わるだろうか?という話。

自分が考えていることを凄い残酷な言い方で表すなら、優れた才能を持った世界的な有名人と何も秀でていない一般市民我々の比較と言ったところ

いや、どう考えても価値に差はあるよ!?とつっこまれるでしょう、というか普通そう。
しかし、宇宙規模で考えてみて欲しい

…宇宙の中
無数にある銀河のひとつ
その中のほんの小さな惑星
に住む人間…


どっちが死んでも変わらないのでは?という気になってくる
なって来ません?
別に自分に価値がほしいわけでもないが。



…ん!?待てよ
大富豪が巨額な金を投じて地底探査のために地球に穴を開けた、だって?
宇宙規模でも結構いい影響力では?



お察しの通り、眠くて意味わからないことを書きなぐっている

大富豪の方々、地底探査よろしくお願いします。